この休みはどこかへ散歩に行きますか? それなら東洋英和女学院の校舎を見に六本木へ行くのはどうでしょう。戦前の日本で数々の名建築を残した米国人の建築家W・Mヴォーリズが当初に設計。それを引き継いで再建された建物です。信仰に基づいたデザインに戦前昭和の空気を感じます。ヴォーリズは近年、注目を集めていますね。
神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。
§ 修道院を引き継いだ様式
六本木通りを鳥居坂に折れて少し行くと東洋英和女学院があります。
通りに面した校舎は、1933にW.M.ヴォーリズがデザインした旧校舎の面影を残しつつ、1996年に最新の建築様式で建てられたとのことです。
スパニッシュ・ミッション・スタイルという均整の取れたたたずまいです。
文様が描かれた中学部・高等部のエントランスの扉は、旧建物から移設されたそうです。
出窓がすてきです。
スパニッシュ・ミッション・スタイルとは、スペイン・アンダルシア地方で発祥した建築がスペイン人によってアメリカに伝えられたといいます。アメリカの太平洋沿岸で18世紀からカトリック伝道の拠点となったミッション(修道院)の建築様式にちなみ、左右対称の外観が原則とのことです。
白壁の外観を見ているとさわやかな気持ちになります。ヨーロッパの雰囲気もあり、米国の南部の都市で見るようなコロニアルな雰囲気もあります。
壁面の装飾は、俗世を超えた清らかなものを感じさせます。
§ 以前の面影を踏襲
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、日本国籍を取得して一柳米来留〈ひとつやなぎ めれる>)は1880年、米国カンザス州の生まれ。明治の中期に若くしてプロテスタントの宣教活動来日し、建築家としても多くの建物を日本で設計しました。
山梨英和や静岡英和、関西学院など数々のミッションスクールの設計を手掛けたヴォーリズに、東洋英和の当時の校長ミス・ハミルトンが校舎の設計を依頼したとのことです。
1993年に取り壊される際には、同窓会が新たな設計を見て以前の面影を踏襲するように依頼、変更されたという経緯があるようです。
参考:楓園 No.56 (同窓会誌)
fuen56.pdf (toyoeiwa.ac.jp)
§ 麻布中も元は東洋英和
明治の初めから宣教活動を行ってきた「カナダ・メソジスト教会」が、麻布鳥居坂に男子校の「東洋英和学校」と女子校の「東洋英和女学校」を創設したのは、1884(明治17)年だったそうです。
現在元麻布にある麻布中学校・高等学校は、東洋英和学校から尋常中学校として分離独立して創立されたのが始まり。1899(明治32)年に「麻布中学校」に改称し、翌年に現在地へ移転したとのことです。
「東洋英和女学校」の現在地への移転は1900(明治33)年。「花子とアン」の村岡花子もここで学んだのでしょう。
さまざまな建物を設計したヴォーリズを詳しく紹介する動画がありました。
姜尚中さん、隈研吾さんが語っています。
§ 東洋英和女学院の校舎のまとめ
東洋英和女学院の校舎は、日本の近代の歴史を感じさせます。ヴォーリズが設計を手掛けた元麻布の「松方ハウス」(西町インターナショナルスクール)など、麻布・六本木周辺には興味深い近代建築が点在します。六本木の賑わいの傍らに残る風景を見て回るのも興味深いのではないでしょうか。きょうもいい一日になりそうです。
【 JAARAで散歩】これまでの「建築を見る散歩」
▽現代日本の建築を見に青山通りを青山から赤坂へ
▽澄み切った空気を思い出す 大正・昭和の洋館を見に麻布へ
▽昭和初期の自由な空気を伝える現役の住宅 麻布台の『和朗フラット』へ
▽デザイナーズマンションの先駆けを見に 神宮前の「ビラ・ビアンカ」へ
▽建築界の巨匠、槙文彦さんの作品を見に 青山・麻布へ
▽競技場からお菓子屋さんまで 大物建築家・隈研吾さんの作品を見に青山へ