この休みはどこかへ散歩へ行きますか? それなら、平安時代までさかのぼる歴史が伝わる社寺をめぐりに麻布へ行くのはどうでしょう。「麻布十番稲荷」「大法寺」「麻布氷川神社」。伝説の稲荷、スーパー大黒天、麻布総鎮守の社です。いずれも「港区七福神」に含まれており、ご利益があるかもしれません。
神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。
§ 伝説のガマガエルの像
麻布十番駅の7番出口を出たすぐ右側(西側)に「麻布十番稲荷」があります。(麻布十番1-4-6)
港区七福神では「宝船」とされ、宝船の像があります。七福神に宝船が加わるので、港区七福神の社寺は8つになります。
麻布七不思議のひとつとされる「がま池伝説」を引き継いでおり、ガマガエルの像もあります。繁華街につながる麻布十番の交差点にカエルさんがいるのがおもしろい。
「麻布十番稲荷」は、「竹長稲荷神社」と「末廣神社」が合併してできたそうです。いずれも太平洋戦争で被災したので合併してこの地に建てられたのでした。
「竹長稲荷神社」は弘仁13年=822年の勧進ともされます。「稗田神社」として「延喜式」(平安中期927年にまとめられた法律の施行細則)に載っているそうです。
元は鳥居坂上にあって「竹千代稲荷」だったのが、徳川家光の幼名「竹千代」と同じなのをはばかって「竹長」に改めたそうです。「竹町」とも書いたとか。「タケチヨ」→「タケチョー」ですね。江戸時代に現麻布十番1丁目に移転。
「末廣神社」は慶長年間(1592-1615、秀吉~家康の時代)の創建。がま池伝説を引き継いでいます。
むかし、旗本の山崎治正さんという人の屋敷で、池にいた大ガマガエルが下僕を食い殺しましたが、化身となって現れて罪をわび、「防火に尽くす」と誓いました。その後、近くで起きた火事の際に口から水を吹いて山崎家を守ったという伝説です。
これにちなんで山崎家が防火のお札を出したところ、もらう人が続出。後に、末廣神社がお札の発行をまかされていました。麻布十番稲荷ではお札でなく、陶製のがまを頒布しています。
動画がありました。
§ ご利益の三点盛り
十番商店街を「きみちゃん像」まで行き、そこを右へ曲がってしばらく行くと、「大法寺」があります(元麻布1-1-10)。しばらくといっても、ちょっと距離があるので、少ししんぼうして歩きます。
大黒様のお寺です。開山は慶長2年=1597年だそうですが、奉安されている大黒天像は伝教大師作の「三神具足大黒尊天」とのことです。伝教大師、最澄の作となると、奈良・平安時代にさかのぼります。
「三神具足」とは、大黒天の小槌を持ち、弁財天の顔と髪をして、毘沙門天の鎧を身につけているからのようです。ご利益の三点盛り、バリエーションが広がりそうです。
甲子(きのえね)の日に開帳されるとのことです。
§ 麻布の総鎮守の社
さらに進むと麻布総鎮守の「氷川神社」があります。七福神では毘沙門天の神社です。(元麻布1-4-23)
天慶5年(942年)源経基(みなもとのつねもと)の勧進とも、文明年間(1469-87、室町時代後期)太田道灌の勧進ともいわれます。源経基は「清和源氏」の祖とされる人物です。
丘の突端部には由緒のある神社、寺院が建っていることが多いといいます。氷川神社は丘の上にあり、見渡せる麻布の街並みが氏子の範囲と考えられているそうです。
§ 天と地をつなぐ神木
近くに一本松があります。現在は5代目だそうです。
氷川神社は江戸時代後期の万治年間(1658-61)に一本坂から移転したそうです。一本松には源経基が装束を掛けたとの伝説が伝わります。天とつながっている神木ということなのでしょう。視界の広がる場所に立っていたのかなあと想像します。
§ 千年伝説の麻布の社寺のまとめ
麻布は坂の多い街。大法寺の前は「大黒坂」、氷川神社の前は「一本松坂」。途中から折れれば「暗闇坂」から「鳥居坂」。地形は以前とそんなに変わっていないでしょう。いにしえの人たちが坂を往き来する姿を思い浮かべれば、違った風景が見えてくるかもしれませんね。きょうもいい一日になりそうです。
【 JAARAで散歩】これまでの「麻布十番で散歩」
▽母と子のきずな 麻布十番でパブリックアートを見る
▽さりげない所にスゴイ人の作品が 麻布十番にパブリックアートを見に行く
▽人と人とのつながりを思う 麻布十番にパブリックアートを見に行く
▽小さいネズミの大きい存在感 麻布十番にパブリックアートを見に行く
▽麻布十番に美味しいおやつを買いに行く