【 JAARAで散歩】世代を継いで歴史を今に伝える樹木たちを眺めに行く

         

 
 木が歴史を物語ることがあります。その木がそこに立っていることで、過去にあった出来事を私たちに伝えてくれます。そうした木は、樹齢が尽きて枯れたり、事故で失われたりすることがありますが、次の世代が役割を引き継いでいる場所もあるのです。世代を継いだ木の姿を青山、麻布に眺めに行きます。
 
 神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。

§ 清和源氏の初代が訪れた場所

 歴史を伝える木といえば、元麻布の一本松でしょう。
 

 

 
 平安時代の十世紀、清和源氏の祖といわれる源経基(みなもとのつねもと)が衣を掛けたと伝わる木です。
 もともと地域のランドマークのような存在だったと思います。麻布の台地の突端でもあり、天に向かって伸びる木の姿が周囲からよく見え、人々は自分の立ち位置、向かう方向を確認できたのだと思います。
 
 傍らの石碑には次のようにあります。

一本松の由来
 
江戸砂子によれば
天慶二年西紀九三九年ごろ六孫源経基平将門を征伏しての皈途此所に來り民家に宿す 宿の主粟飯を柏の葉に盛りさヽぐ翌日出立の時に京家の冠装束を松の木にかけて行ったので冠の松と云い又一本松とも云う
 注 古樹は明治九辰年燒失に付き植継
   昭和二十年四月又燒失に付き植継

 

 
 「六孫源経基」とあるのは、経基の父貞純親王が清和天皇の第6皇子であることから、「六孫王」が経基の異称だったそうです。
 「京家(きょうけ)」とは、京都に住む公家や貴族のことをいうので、基経が貴族の身につける衣冠を木に掛けたということでしょう。
 明治と昭和に焼けたとあります。現在ここに立っている木は、少なくとも三代目なのでした。
 
 ところで、石碑に焼失した時期が「明治九辰年」とあります。「辰年」とあるのですが、明治9年(1876年)は干支でいうと「丙子(ひのえね)」つまりネズミ年です。
 干支が辰で有名な年というと、江戸時代の明和9年(1772年)が辰年です。この年は明和の大火が起き、迷惑年(めいわくねん)と呼ばれる年です。明和の大火は江戸城下を焼き尽くし、死者1万人以上とされています。この時に、麻布も被災しています。
 明治の焼失のいきさつは分かりません。
 
 清和源氏 – Wikipedia

§ 明治天皇が帝国陸軍を閲兵

 明治神宮外苑には「御觀兵榎」があります。
 外苑は、元は陸軍の練兵場でした。ここで、明治天皇が観兵式を行いました。陸軍の部隊が、大元帥である天皇の閲兵を受け、分列行進します。その時に天皇が座っていた場所がこの榎の木の近くでした。

 
 説明板には次のようにあります。

御観兵榎について
 この外苑の敷地は、もと陸軍の青山練兵場で、明治天皇の親臨のもとにしばしば観兵式が行われ、なかでも明治二十三年(一八九〇)二月十一日の憲法発布観兵式や、明治三十九年(一九〇六)四月三十日の日露戦争凱旋観兵式などは、特に盛大でありました。聖徳記念絵画館の壁画「凱旋観兵式」(小林万吾画)にその時の様子が描かれており、当時の盛儀が偲ばれます。明治天皇がご観兵される時は、いつもこの榎の西前方に御座所が設けられたので、この榎を「御観兵榎」と命名し永く保存しておりましたが、平成七年(一九九五)九月十七日老令(樹令二百余年)の為台風十二号余波の強風により倒木しました。遺木の一部は聖徳記念絵画館内に名木「ひとつばたご」の遺木と共に保存されております。
 平成八年(一九九六)一月、初代御観兵榎の自然実生木(推定樹令六十年)を苑内より移植し、「二代目御観兵榎」として植え継ぎました。
 平成八年一月吉日 明治神宮外苑

 
 この木は二代目なのでした。
 
 明治神宮外苑|名所紹介(史跡・名木) (meijijingugaien.jp)
 

§ 平和への想いを伝える

 南青山七丁目バス停近くに「被爆二世クスノキ」があります。この木は文字通り二世です。
 

 
 説明板には次のようにあります。

被爆II世クスノキについて
 このクスノキは、1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾の熱線と爆風により焼けただれた山野の中でクスノキ(現在、長崎市の天然記念物)の種から育てられたものです。
核兵器のない平和な自然環境を大切にする世紀にしたいという想いがこめられています。
 港区

 
 平和首長会議(へいわしゅちょうかいぎ)が進めている被爆樹木二世の植樹を進める活動の一環でしょう。被爆した木の子ども世代の木なのです。
 
 被爆樹木二世の苗木の配付・育成 | 平和首長会議 (mayorsforpeace.org)
 
 平和首長会議のHPによると、長崎の被爆二世クスノキの親木は爆心地から800メートルの距離にある山王神社(長崎市坂本)で被爆しましたが、焦土の中で青々と芽を吹き返し、市民に生きる勇気と希望を与えたということです。
 苗木の植樹を呼び掛けているクスノキは、親木の種から発芽して育ったそうです。
 
 福山雅治さんの歌う「クスノキ」の子どもなのだと思います。
 

 
 長崎の被爆樹木二世:クスノキ
 被爆樹木二世を世界に
 
 平和首長会議とは、核兵器廃絶の市民意識を喚起するとともに、飢餓・貧困の解消、難民、人権問題の解決、環境保護のために連帯して努力しようとする都市の集まりです。
 元々は1982年6月24日、当時の荒木武広島市長が国連で「国境を越えて連帯し核兵器廃絶への道を切り開こう」と呼び掛け、賛同する都市が「世界平和連帯都市市長会議」を設立しました。2001年8月5日、「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更されました。
 2023年6月1日現在、166カ国・地域の8,259都市(うち国内1,738都市)が加盟しているそうです。港区は2010年から加盟しています。
 
 平和首長会議 | 平和首長会議 (mayorsforpeace.org)
 
 街を歩いていてふとこの木を見かけて、被爆の歴史を振り返ることができるかもしれません。
 

§ 世代を継いで歴史を伝える木のまとめ

 平安京から来た皇族、それを迎えた東国の人、分列行進しながら敬礼した兵隊さんとそれを眺めた天皇、原子爆弾投下に遭遇しその後の困難に立ち向かった人。それぞれの人たちが日々を生き、歴史をつくってきたことを感じます。きょうもいい一日になりそうです。
 
【 JAARAで散歩】青山で散歩
▽黄金色のトンネルを抜けに 明治神宮外苑のイチョウ並木へ
▽明治の軍人の気概に触れる 旧乃木邸へ
▽スケールの大きなストリートアートを見に 北青山のブラジル大使館へ
▽秘密の道を抜けてパブリックアートを見る 青山一丁目駅へ
【 JAARAで散歩】これまでの「麻布で散歩」
▽千年の伝説がある神社、お寺をめぐりに麻布へ
▽澄み切った空気を思い出す 大正・昭和の洋館を見に麻布へ