【 JAARAで散歩】南麻布の大きな大使館はなぜできたのか、その敷地の意外な過去

         


 
 南麻布の有栖川宮記念公園周辺には、広い敷地の大使館がいくつもあります。港区に大使館が多いのは、明治政府が旧大名屋敷跡などを各国に提供したから(港区ホームページ/港区には大使館がいっぱい!)と同じような理由で、広い敷地も明治政府のおかげと考えがちです。ところが意外、それぞれの土地には特有の過去があったのでした。
 神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。

§ バブル時代のホテル建設

 南麻布五丁目の信号から南へ進むと、フィンランド大使館が見えてきます。
 

 
 敷地は広そうです。敷地と道路との境は、なんとも和風の塀で、瓦も葺かれています。それが延々と続いています。
 

 
 緩やかな下り坂を下りきって、敷地に沿って左に曲っても塀がさらに延びています。
 

 
 この敷地にはかつて「麻布プリンスホテル」というホテルがありました。
 古い地図を見ると、江戸時代は武家地だったのが、明治に入って「鷹司邸」、「藤田邸」と変遷します。ここを「箱根土地」が購入して1953年に「ホテル藤」を開業、1956年に「麻布プリンスホテル」となります。以前の豪邸の雰囲気を残した「隠れ家的ホテル」だったようです。
 
 その後、ホテルの高層化が検討されたものの、この付近は高い建物を建てられない規制があったのでした。そこで、大きなホテルを建てるのによい土地を物色するうち、六本木にあったフィンランド領事館に行きついたのでしょう。1980年代初頭に土地が等価交換され、フィンランド大使館がこちらに移ってきたということです。
 1984年に「六本木プリンスホテル」が開業。バブルの時代を謳歌する場所となりました。(2006年に営業終了。跡地には住友不動産六本木グランドタワーが建った)
 フィンランド大使館の立地は、時代の流れを背景にしているのでした。
 
 六本木プリンスホテル – Wikipedia

§ 国の財産の有効活用


 
 フィンランド大使館の向かい側はパキスタン大使館です。住宅とみられる建物がとてつもなく大きな印象です。
 

 
 現在地へ移転してきたのは2008年。それまでここには自治省や文科省の施設、公務員宿舎がありました。
 
 パキスタン大使館の隣は、駐日欧州連合代表部(EU大使館)です。
 

 
 ユニークな建物について以前に記事でご紹介しました。
 ◇EU大使館の窓はなぜ不揃いなのか 答えは「多様性」
 
 この大使館が完成したのは2011年ですが、土地を購入したのは2006年。EUが施設の完全所有(賃貸でない)を目標にして取り組みを始めたのは2003年でした。
 パキスタン大使館の敷地と一体だった区画には、公務員宿舎、自治大学校、統計数理研究所などがありました。
 2つの大使館が移転した時期は、2007年に学者らの有識者会議が「国有財産の有効活用に関する報告書―庁舎・宿舎の 有効活用のための基本戦略と具体的方策」をとりまとめるなど、国の持っている資産の有効活用が推進されていた時期と重なります。
 まとまった広さの国有地を入手できたのは、そうした時代背景があったからかもしれません。

§ 広くて快適な土地探し

 EU大使館から南へ行くと、フランス大使館が見えてきます。
 

 
 見るからに広大です。2.5ヘクタールあるそうです。その5分の1弱を一般住宅の敷地として長期に貸し出しているようですが、それでも十分な広さでしょう。
 

 
 フランス大使館の始まりは幕末の安政年間、港区三田の「済海寺」(フランス公使宿館)が最初です。
 その後、千代田区永田町(現在の衆議院議員会館あたり)、千代田区九段(現在の千代田区役所あたり)へ移転しました。
 現在の地へ移るのは、九段の建物が1923年(大正12年)の関東大震災で全焼したからですが、移転の構想が始まったのは、フランスが公使館を大使館に格上げした1905年(明治38年)ごろにさかのぼります。日露戦争で勝利し、日本の重要性が高まりました。
 参考:最初に描かれた在日本国フランス大使館の計画案(三田村哲哉)
 
 移転に際しフランスとしては、確実な用地確保、衛生面の確保が課題でした。
 現在地の一角についての情報は、当時大蔵次官だった若槻礼次郎(後の首相)が1910年にもたらしたようです。当時そこにあった「海軍造兵廠(かいぐんぞうへいしょう、海軍の兵器などを作る所)」の移転話です。
 この辺りは高台になっており、フランスは「見晴らしがよく、緑、水辺に恵まれており、東京の中で最も美しい場所である」と評価したそうです。
 幕末、公使が済海寺に入ったのは幕府からの当てがいでしたが、現在の大使館はフランスが理想の場所を探して選び抜いた地に建っているのでした。

§ 南麻布の大使館の敷地のまとめ

 大使館の場所を変えている国はいろいろあります。歴史的な経緯や時の思惑の中で、適切な場所が定まっていくのでしょう。今回の4つの大使館も、それぞれの事情があって移転していました。そうした背景を踏まえると、大使館を見る見方が面白くなるかもしれません。きょうもいい一日になりそうです。
 
【 JAARAで散歩】大使館を見る散歩
◇人知れず、気が付くと、そこにある、大使館
◇EU大使館の窓はなぜ不揃いなのか 答えは「多様性」
◇ウクライナの現状を伝える写真を見に 西麻布のウクライナ大使館へ
◇まだ見ぬ国の人々を思い浮かべて 大使館を見に元麻布へ
◇バルト海の未知の国の歴史を思う リトアニア大使館を見に元麻布へ
◇ソフトパワーをアピールするパネルを見に 元麻布の中国大使館へ
◇港区にはなぜ大使館が多いのか 歴史を思い浮かべながら西麻布へ
◇戦時下のウクライナの人々の思いを感じに 西麻布のウクライナ大使館へ