
三叉戟をモチーフにしたキエフ大公国の紋章がウクライナの国章になっている
外国の大使館を眺めていると、とくにヨーロッパの国の場合、正面に国のマークが掲げられています。「国章」です。ヨーロッパではむかしから盛んに紋章が使われていて、「紋章学」という学問の領域になっているほどです。散歩の途中に目にした国のマークを「紋章学」的に考えてみました。
神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。
§ 紋章とは何か
そもそもヨーロッパの紋章とは何でしょうか。紋章に詳しい文筆家の森護(もり・まもる)さん著の『ヨーロッパの紋章』という本には「紋章の定義は紋章学者の数だけある」というジョークがあるとしたうえで、「中世ヨーロッパにおいて、キリスト教支配の貴族社会に始まり、楯にそれぞれ個人を識別できるシンボルをあしらった世襲的制度」ということになるそうです。
「家」を識別する日本の家紋とは違って、「個人」を識別する仕組みだったわけです。
どんな場面で「個人」を識別するのかというと、戦場や、「騎乗槍試合」という華々しい競技をする時です。
甲冑で顔が見えないけれど「その人はだれか」が一見して分かるように、楯に模様を描き、陣羽織や馬の覆いに模様を描いたのでした。
そのための仕組みなので、紋章は基本的に「楯」に模様が書いてあるわけです。
§ 十字だけでも数百種類
リトアニア大使館に掲げられている国章は、馬に乗った騎士が剣を振りかざしています。ヨーロッパの紋章の中でも古い部類のもののようです。
この騎士が持っている青い楯に、カタカナの「キ」のような十字があります。全体の赤い楯の外側にもあります。この「キ」の字、複十字は、古くからのリトアニアのシンボルなのだそうです。
同時にこの「キ」はギリシア正教会のシンボルでもあり、「Patriarchal Cross(Cross Patriarchal)」(ペイトゥリアーカル・クロス)と呼ばれるそうです。「Patriarchal」とは「大主教の、大主教の支配する」という意味です。
ところがちょっと気になります。リトアニアは、もともとは多神教の異教徒でした。1386年に大公がキリスト教に改宗する際、ギリシア正教を避けてカトリックにしました。ギリシア正教会の「キ」とは別物かなと思いますが、森護さんの『紋章学事典』に言及はありませんでした。
それはともかく、「十字」という図形はいろいろあります。線の先が尖っている、丸い、楔になっている、上の部分が輪になっている、中心に模様があるなど、何百種類というバリエーションがあるそうです。
キリスト教が生まれるよりずっと前、バビロニアやエジプトでも信仰の対象となっていた図形なのでした。
§ 人気の高い「鷲」「ライオン」
ルーマニア大使館の壁面に掲げられた国章は、楯の背後に「鷲」がいます。
紋章を形作っていく要素としては「表面の分割」「幾何学的抽象図形」「具象図形」があります。
具象図形の代表選手が「鷲」と「ライオン」です。
「鷲」は頭が一つ(単頭)のと、二つ(双頭)のとがあり、単頭は西ゴート族、双頭はビサンチンに由来し、神聖ローマ皇帝は、最初は単頭、後に双頭の紋章を使ったようです。
ルーマニアのは単頭。ポーランド、ドイツ帝国も単頭ですが、オーストリア帝国、ロシア帝国は双頭です。いずれにしても勇ましい。
もう一つの代表選手は「ライオン」です。英国をはじめ、ヨーロッパの王室でたくさん使われています。
フィンランドの国章にも使われていました。
剣を持つ右の前足が人間の手になっています。これは国の防衛を表しており、両足が踏みつけている剣はロシアだということです。
そう考えると、なかなかロシアと仲良くできないよなあ、という感じです。
§ 複数の統合を象徴
紋章は、当初は個人の識別が目的でしたが、そこにいろいろな意味合いが入ってきます。「名門家系の女性を妻に迎えた」とか「領有する土地が増えた」とか「こっちの方と連合している」とかの事情を加味するために紋章を組み合わせることになり、そのため楯の表面を分割します。
ルーマニアの国章では楯が5分割されています。
5つはそれぞれ「ワラキア」「モルダビア」「バナトおよびオルテニア」「ドブロジャ」「トランシルヴァニア」を象徴しているとされ、歴史的、地理的な多様性を統合する意図があるのでしょう。
§ 国章を紋章学的に見るのまとめ
人や家を紋章で表すという文化は、ヨーロッパと日本だけに見られるのだそうです。ヨーロッパの紋章学は複雑多岐にわたるようです。そこには権威と秩序、意味と自己主張が表れているのでしょう。意味を踏まえると、大使館の向こうに、その国が少しだけ、見えてくるかもしれません。きょうもいい一日になりそうです。
【 JAARAで散歩】大使館を見る散歩
◇人知れず、気が付くと、そこにある、大使館
◇EU大使館の窓はなぜ不揃いなのか 答えは「多様性」
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◇まだ見ぬ国の人々を思い浮かべて 大使館を見に元麻布へ
◇バルト海の未知の国の歴史を思う リトアニア大使館を見に元麻布へ
◇ソフトパワーをアピールするパネルを見に 元麻布の中国大使館へ
◇港区にはなぜ大使館が多いのか 歴史を思い浮かべながら西麻布へ
◇戦時下のウクライナの人々の思いを感じに 西麻布のウクライナ大使館へ