過去の出来事が思い出されて、ものすごい後悔がおそってきて、自己嫌悪になる時ってありますよね。そんな時、それを乗り越える方法を考えてみます。自分を客観視して、分析することです。
§ 別の人を想定
まず、自分が後悔している出来事、行動を客観視します。そのために、その行動は自分とは別の人が行ったと考えてみます。後悔のもとになった行動は、過去の自分「カコノーレくん」がやったのです。それについて今の自分「イマノーレくん」が考えてみるのです。「イマノーレくん」と「カコノーレくん」は別人格です。
「ああオレはバカだった……」と考えて身もだえするのは、自分自身に物事を引き付けているからです。同じ間違いを親しい友人がやらかしたときにどうするでしょう。慰めの言葉をかけてあげるのではないでしょうか。
「たいへんだけどそんなに思いつめるなよ、そこまでのことでもないよ」とか、「君がそうしたのには、そうなる理由があったんだよ」など。
それと同じです。「カコノーレはバカなやつだな。なんであんなことをやらかしたんだろう。注意力散漫ってやつかな」という風に考えてみるわけです。
もちろんカコノーレくんも自分なわけですから、カコノーレくんのやったことの責めは自分=イマノーレくん=が負わなくてはなりません。
例えば、締め切りが迫っているのに作業が全然進展していないとしましょう。締め切りに間に合わなかったら社全体の業務に重大な支障が生じます。支障が生じたら責任を取らなくてはなりません。責められるの自分です。謝るのは自分です。
「もっと早くから作業を進めておけばよかった……」と後悔します。そんな時、カコノーレくんがつくった悲惨な状況を、イマノーレくん=自分=が引き継いでいると考えます。
「カコノーレのやつ、遊びほうけた挙句に〝お鉢〟をオレに回してきやがって。なんだ」とカコノーレくんを責めます。しかし、私はもう「カコノーレくん」ではありません。「オレはカコノーレみたいに怠け者じゃないぞ、いまから何ができるか工夫してみよう」と発想するわけです。
§ 書き出してみる
過去の出来事を客観視する方法として、「そのこと」が何だったのかを書く、というのがあります。どこに書いてもかまいません。まあ、日記帳にでも書きましょう。
後悔している出来事、間違った自分の判断・行動を字にするのは、なかなか勇気がいることです。思い出したくありません。でも、現に身もだえしているのは、中途半端に思い出しているからです。きちんと思い出せば、見えてくることがあります。
書き出すには気力が要ります。胆力が要ります。ですので、1行だけ書きましょう。いつ、どこで、どのようにして、どうなった、と。
その上でまだ気力がある場合は、なぜそのように行動したのか・しなかったのか、理由を書きます。さらに胆力があるのなら、その理由がどこから来たのかを考えます。
カコノーレくんの性質や環境については、イマノーレくんは、いちおう、熟知しているので、実際に即して考えることができます。
カコノーレくんは、いつ、どこで、どんな間違いをおかして、結果どうなったのか。それはどんな理由からだったのか。その理由は、カコノーレ君の持っている何からきているのか、カコノーレ君の置かれている環境のどこから来ているのか。
§ 後悔でなく反省
後悔にあまり意味がないことはだれでも知っています。過去を変えることはできません。でも、後悔が反省につながれば意味があります。よりよい未来につながります。
反省は分析から生まれます。分析は出来事を客観視することで可能になります。客観視して分析するために、出来事と自分とをいったん切り離すのです。
§ 考えの範囲が広くなる
出来事を客観視して分析を進めると、考え方の範疇が広がってきます。そもそも、その間違いの「価値」(悪い意味で)がどのくらいだったのか。その「悪い価値」に自分はどれくらい直接関与しているのか。その「程度」が見えてきます。
その出来事は「悪い価値」だけを生んだのでしょうか。「よい価値」も生んでいるのではないか。そのように考えられるようになります。
人は「悪い価値」を生もうと思って行動することはありません。意識的にせよ無意識にせよ、自分の認める「よい価値」に基づいて行動しているはずで、過去の行動もそうだったはずです。「悪い価値」ばかりが前面に出てきますが、うしろには、隠れた「よい価値」があります。
遊びほうけて仕事が進まなかったとして、遊ぶのは人生に大切なことではないでしょうか。眠りほうけて進まなかったとして、眠ることは健康に必要なことではないでしょうか。その時に眠っていなかったら、体調を崩して重病になっていたかもしれません。
取り繕いの自己正当化をして言い訳を考えるのではありません。「分析」の幅を広げていくのです。
§ 完璧と中途半端のバランス
そもそも、自分はなにかにとらわれているのではないでしょうか。
後悔するのは「完璧主義」だからという場合もあります。「完璧主義」とは、あるひとつの場面について完璧である、というだけのことです。すべての点で完璧な人などいません。いたら神様です。みな、完璧といいかげんのバランスの中にいます。 武田信玄が言っています「戦勝は五分を以て上と為し……云々」。完璧でない方が次につながるのです。
「でも、オレが犯した過ちは取り返しがつかない。千載一遇の場面での失敗だったのだ。オレはもう年だから。挽回もできない」
そうかもしれません。そうなのかもしれませんが、それを今はおいておいて、もう少し時間がたってから考えてみることにしましょう。
年ですって? 人生を生きていく上で、きょうは自分がいちばん若い日です。
§ 後悔と自己嫌悪を乗り越えるのまとめ
「カコノーレくん」のバカな判断・行動を客観的に分析しましょう。そして「バカなやつだなあ」と慰めてあげましょう。そして、カコノーレくんにはそのように行動した理由があったことも考えてあげましょう。