この休みはどこかへ散歩へ行きますか。青山、麻布を歩くなら、建築界の巨匠、槙文彦さんの作品を眺めるのはどうでしょう。いつも見る建物とは、違ったおもむきを感じることができるかもしれません。
神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。(2023.01.22記)
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。
§ 空間が文化を支えた先例
地下鉄表参道駅を降りてすぐ、青山通りの南側に「スパイラル」ビルがあります。
槙文彦さん(槇総合計画事務所)は代官山のヒルサイドテラスで有名ですが(1980年・日本芸術大賞、1993年・プリンスオブウェールズ都市デザイン賞)、このスパイラルビルは、ヒルサイドテラス、幕張メッセと並んで、槙さんの代表作品とされています。
地上9階、地下2階建て。ギャラリーやホール、ショップ、飲食店が入った複合文化施設。ファサード(前面の外観)にはアルミが使われており、窓の形状に特徴があるようです。
外側のデザインからは垢抜けした印象を受けます。
中へ入ると、1階の奥が吹き抜けで、らせん状のスロープがあり2階へとつながっています。「スパイラル」の由来です。その手前にギャラリーやショップがあります。吹き抜けにはアート作品も展示されます。
竣工は1985年9月。「25年以上の長きにわたり、建築の存在価値を発揮し、美しく維持され、地域社会に貢献してきた建築」が顕彰される日本建築家協会の「JIA25年賞」を2011年度に受賞しています。
その時の講評は「劇場とショップ、カフェの動線を魅力的に展開し、巧みな光の空間の中で文化の熟成を実現した都市建築の代表例」
「道路カーブに合わせて面をずらし分節し、回遊動線をそのままファサードとして表現しながら、各所に出会いを仕組んだこの計画は25年を経て、なお新鮮で、輝いている」
「建築が関係を育て、空間が文化を支えてきた先例の一つ」
と激賞しています。2022年度にはグッドデザイン賞を受賞しました。
§ 垢抜けた最先端
さて、外苑前駅まで戻って北へ入ると、秩父宮ラグビー場と神宮球場の間に、機械・情報産業などの最先端ハイテクノロジーを展示する複合施設「テピア」があります。これも槙さんの設計です。
外観はやはり、垢抜けたたたずまいです。「最先端」の雰囲気があるような、ないような。
窓の配置が印象的です。
北へ回って、こちらが玄関でしょう。
テピアは1989年(平成元年)、経産省外郭団体の財団法人機械産業記念事業財団(現在の一般財団法人高度技術社会推進協会)によって開設されました。もとは自由に入れる施設でしたが、2023年1月時点では予約による入れ替え制のようです。
以前入った時には、入り口すぐのところに人の顔を関知して年齢を表示する大きな液晶盤がありました。
私は、自分では若く見えると思っていましたが、機械に年齢を当てられてしまいました(笑)
テピア公式サイト
ここにはかつて、日本初の民営ボウリング場「東京ボウリングセンター」がありました。(1952年開業、1987年吉祥寺第一ホテルの開業と同時に移転、2022年閉館)
青山にあって政財界の人々が集い、コーラやハンバーガーが販売されるなど米国文化のはしりだったそうです。通り向かいの都立青山高校の生徒がサボって遊びに来ることもあったとか。
建物の近くに「近代ボウリング発祥の地」の記念碑があります。
明治神宮外苑の再開発の対象地域になっています。
§ 日本建築界への敬意
場所を麻布に転じましょう。暗闇坂を歩くと、「おや、素敵な建物があるな」と思うレンガ造りのエクステリアに出会います。オーストリア大使館です。これも槙さんの設計です。
オーストリア大使館は1953年に敷地を取得して既存の日本家屋を大使公邸にし、別に木造の大使館事務棟が建てられていたそうです。
1972年に事務棟、公邸の新築に踏みきり、1976年に完成しました。
大使館のHPは「数あるオーストリアの在外公館建物の中で在京大使館はとりわけ自慢できる建造物の一つ」と紹介しています。
ベルリン、ワシントンの大使館がオーストリアの建築家によるのに対し、日本では槙さんが担当したことについては「世界的に認められた日本建築界へ敬意を表したものであろう」と記しています。
敷地の傾斜を活用し、5階建ての事務棟と低層の公邸がほぼ同じ高さに納まっています。
槙さんのコンセプトにより、敷地内の日本庭園を活用しているとのこと。内部の調度品はオーストリアのデザイナーによる「ジャポニズムの影響を大いに受けている世紀末様式」といいます。散歩中なので中に入れないのが残念です。
麻布十番から六本木ヒルズを抜けたところにあるテレビ朝日の本社ビルも槙さんの作品です。
§ 空間が人間に喜びを与える
槙さんは1928年東京都生まれ。1952年に東京大学工学部建築学科を卒業し、アメリカのクランブルック美術学院及びハーバード大学大学院の修士課程を修了。アメリカで仕事をした後、1965年に帰国し、株式会社槇総合計画事務所を設立したとのことです。
作品はさまざまな賞を受賞していますが、建築家にとって最も名誉ある「プリツカー賞」を1993年に受賞しています。ワシントン大学とハーバード大学で都市デザインの準教授、東大教授を務めました。
槙さんは、ある講演の折に「空間が人間に喜びを与える」と話していました。
下の動画は国際文化会館での講演です。
§ 巨匠の建築を見に青山・麻布へのまとめ
槙文彦さんの建築の作品は、それぞれが上品でおちついた雰囲気をたたえています。世界に認められた建築家の生み出した風景をしばし眺めると、さわやかな気分になるかもしれません。きょうもいい一日になりそうです。
【 JAARAで散歩】これまでの「建築を見る散歩」
▽現代日本の建築を見に青山通りを青山から赤坂へ
▽澄み切った空気を思い出す 大正・昭和の洋館を見に麻布へ
▽昭和初期の自由な空気を伝える現役の住宅 麻布台の『和朗フラット』へ
▽デザイナーズマンションの先駆けを見に 神宮前の「ビラ・ビアンカ」へ
▽競技場からお菓子屋さんまで 大物建築家・隈研吾さんの作品を見に青山へ
▽ヴォーリズの東京の建築を見に 東洋英和女学院へ