【 JAARAで散歩】デザイナーズマンションの先駆けを見に 神宮前の「ビラ・ビアンカ」へ

         


 
 神宮前交差点からラフォーレ、東郷神社を過ぎて北へ向かうと、ひときわ目を引く建物が現れます。日本のデザイナーズマンションの先駆け「ビラ・ビアンカ」です。登場したのは東京オリンピックが開催された1964年。半世紀以上も前の進取の感覚が現在も精彩を放っています。眺めに行きませんか。
 神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。(2022.10.25記)
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。

§ 立方体を組み合わせたような形

 「ビラ・ビアンカ」は「白い館」の意味。外観は立方体を組み合わせたような形に見えます。
 

 
 部屋がそれぞれ外へ向かっており、外の光がよく入りそうです。立方体の下部分はテラスになっているように見えます。居住性が考えられているのでしょう。でもそれよりなにより、見た目の構図が印象的で、引き付けられます。

§ 近未来を見据えた建築

 設計は堀田英二さんという人。地下2階、地上8階、総戸数45戸。竣工は1964年4月です。ビラ・シリーズのサイトページには「当時の日本ではまだ、都心居住型集合住宅の前例はほとんどなく、 国内外の雑誌に広く紹介されました」記されています。
 
 当時は戦後の高度成長期。集合住宅の普及が進み、日本人の住生活が変化していた時期です。
 「ビラ・シリーズマニア」というサイトページによると、ビラ・シリーズのデベロッパー興和商事の石田鑑三さんという会長(故人)は、「自分たちでまったく新しい住宅を作るしかない」「最高のものを作ろう。20年先のことをやろう」と考えたそうです。その成果を50年後に見ているわけです。
 
 ビラ・ビアンカを紹介する動画がありました。

 
 

§ 伝統とモダン

 近くには「ビラ・セレーナ(静かな館)」と「ビラ・フレスカ(フレッシュな館)」があります。いずれも設計は坂倉準三建築研究所(現、坂倉建築研究所)とのことです。
 
 ビラ・セレーナは1971年の竣工。
 

 
 その向かいにあるビラ・フレスカは1972年の竣工とのことです。
 

 
 坂倉準三さんは、1901年岐阜県生まれ。1929年に渡仏、1931年から1936年までル・コルビュジェのアトリエで、重要なスタッフとして都市計画や住宅設計に携わったという人物。戦後は神奈川県立近代美術館などを手掛けています。
 伝統とモダンを融合したデザインを追求したとされるようですが、この建物を見ると、全然モダンです。
 
 ビラ・セレーナを紹介する動画もありました。
 

 

§ ビラ・シリーズの集合住宅のまとめ

 時を経ても新鮮に思えることがいろいろあります。ビラ・シリーズの住宅をみると、歴史とは、進歩とは、と考えをめぐらすことになります。原宿を散歩する折に寄り道するのもいいですね。きょうもいい一日になりそうです。
 
【 JAARAで散歩】これまでの「神宮前で散歩」
 ▽原宿・表参道の歴史と広がりをたずねて 神宮前交差点へ
 ▽気鋭の書と大家の絵に圧倒される パブリックアートを見に明治神宮前<原宿>駅へ
 ▽並木150本に90万の光 2022冬のイルミネーションを見に表参道へ