【 JAARAで散歩】豊川稲荷さんの石塀の文字と絵柄にその来歴と信仰の刻印を見る

         


 
 赤坂見附の近くの青山通りに「豊川稲荷」があります。「ああ、あの幟旗(のぼりばた)がたくさん立っているところね」という印象です。近寄ってその石の塀を見ると、文字やマークなどいろいろなものが刻まれているのでした。それを見ると、かつてそこに何があったのか、どこから信仰を集めていたのかに思いを馳せるのでした。
 
 神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。

§ 町火消の纏(まとい)がずらり

 赤坂見附から上り坂の青山通りを少し行くと、豊川稲荷さんがあります。
 

 

 
 塀に纏(まとい)の絵柄が刻まれています。
 


 
 江戸の町人による消火活動組織「町火消(まちびけし)」の纏でしょう。入り口の向かって左側には第三区の四番組から七番組の纏。右側には一番組から三番組、その先に八、九、十番組の纏が比較的新しい御影石のような板に刻まれています。
 

 
 この御影石の板は最後に銘板があり、「奉納 社団法人江戸消防記念會 第三區」として一~十番組の関係者の名前が刻まれ「昭和三十八年四月吉日」とあります。
 豊川稲荷を囲む塀そのものは古いのでしょう。一角に大正十五年と刻んであるので、1926年です。
 

 
 第一区、第二区というのは、地域の分担割りがあったようです。「町火消」は、八代将軍吉宗の時代の享保3年(1718年)、南町奉行だった大岡忠相が中心となって組織しました。
 享保5年(1720年)に当初の地域割りが修正され、隅田川から西を担当するいろは組47組(後に48組)と、東の本所・深川を担当する16組となりました。
 分担割りは時代によって変遷があるようですが、江戸消防記念会のサイトを見ると、明治初期の第三区の担当は、現在の千代田区、港区、新宿区の辺りだったようです。
 一番組、二番組というのは、享保15年(1730年)に、いろは47組を一番組から十番組まで10の大組に分けて大纏を与えて組織したそうです。地域を越えてより多くの人数を集められるようにしたのでしょう。
 
第三區 – 一社江戸消防記念会
各區の紹介 – 一社江戸消防記念会
東京消防庁<消防マメ知識><消防雑学事典>
火消 – Wikipedia

§ 江戸時代の消防署

 豊川稲荷のある場所は、以前は「火消屋敷」でした。いろは48組は「町火消」ですが、「火消屋敷」に住んだのは、幕府直轄の消防組織「定火消(じょうびけし)」の長官である「火消役」です。
 定火消は、明暦の大火の翌年の万治元年(1658年)、大身の旗本4人に与力、同心を付けて設置されました。その旗本が「火消役」です。
 宝永元年(1704年)からは10組となり、火消屋敷の場所は、赤坂溜池屋敷、赤坂御門外屋敷、市ケ谷御門外屋敷、半蔵御門外屋敷、四谷御門内屋敷など10カ所となり、豊川稲荷はこのうち、赤坂御門外の屋敷なのでした。
 広い敷地に火の見櫓があって半鐘が設置され、消火に当たる人の詰め所もあり、現在の消防署の原型とされます。
 
 嘉永3年(1850年)の地図では、「定火消御役屋舗 小笠原順三郎」とあります。後の勘定奉行の小笠原政民さんでしょう。
 
 ■ [9-163] 定火消御役屋敷 | 江戸マップβ版
 
 文久二年(1862年)の地図を見ても「火消御役屋敷」となっています。
 

 
 ■火消 – Wikipedia

§ 大岡越前が帰依

 豊川稲荷は「お稲荷さん」と聞いて神社を想定しますが、曹洞宗のお寺です。愛知県豊川市にある「豊川稲荷」の東京別院です。HPには次のようにあります。
 

豊川稲荷東京別院について
 
豐川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)」と称し山号を圓福山(えんぷくざん)とする曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、 当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)です。
豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)とは、昔、順徳天皇第三皇太子(じゅんとくてんのうだいさんこうたいし)である寒巖禅師(かんがんせんじ)が感得された、霊験あらたかな仏法守護の善神です。 豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
当別院は江戸時代、大岡越前守忠相公(おおおかえちぜんのかみただすけこう)が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。
明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至ったものです。
豊川稲荷を信仰した方としては、古くは今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、九鬼嘉隆、渡辺崋山など武将達から信仰を集めさらに江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。

 
 というわけで、町火消を組織した大岡越前とも関係が深いのでした。
 
 ■豊川稲荷東京別院
 ■当山の歴史 | 豊川稲荷 豊川市 寺院 初詣 祈祷 精進料理 供養
 ■豊川稲荷 – Wikipedia

§ 近在から遠方まで

 豊川稲荷さんの塀を見ると、塀に積まれた石のあちこちに名前が刻まれています。
 

 
 浄財を献じた人の名前なのでしょう。町火消の第三区の範囲内の地番があります。
 麹町、八丁堀、銀座、赤坂、四谷に南豊島郡淀橋町(新宿)。
 
  

 
 
 かと思うと、管轄外の下谷に浅草、本所に深川。
 
 

 
 
 横浜もあります。「野洲福居町」は現在の栃木県足利市でしょう。
 
 
 
 信仰の広がりが見て取れるのでした。

§ 豊川稲荷の塀のまとめ

 塀に歴史あり。そこに刻まれた文字や絵柄を見ると、あれこれ分かったり、想像されたりするのでした。歴史的な場所には、目立たないところにもいろいろな情報が詰まっているのですね。きょうもいい一日になりそうです。
 
【 JAARAで散歩】赤坂で散歩
▽明治の軍人の気概に触れる 乃木坂の旧乃木邸へ
▽現代日本の建築を見に 青山通りを青山から赤坂へ
【 JAARAで食べ飲み】赤坂で食べ飲み
▽和食と日本酒がおいしい居酒屋さん 赤坂の『ごだいご』さんへ
▽知る人ぞ知る焼肉の名店 赤坂の『大関』さんへ
▽越後のおいしいへぎそばとは 赤坂の居酒屋『きなせや』さんへ
▽銘醸の日本酒で〆は細うどん 赤坂の『香吾芽』さんへ 食べ飲み探訪
▽長崎・五島の料理とお酒 赤坂の『赤ちょうちん ぶらり』さんへ