東京都港区域のうち旧芝区は商工業の街なのに対し、旧麻布区、旧赤坂区は、皇族邸や外国公館が多い「お邸町(おやしきまち)」であるとともに、旧日本軍の施設が多いのも特色で、市民から「聯隊の町」とも呼ばれていました。今は現代的な落ち着いた様子が広がる街の中に、ふと旧軍の痕跡を見ることがあります。
神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。
§ アートの拠点に「第三聯隊」
現代日本のアートの拠点、六本木の国立新美術館へ行くと、玄関前の広場の向かい側に「別館」が建っています。この別館はかつての陸軍第一師団歩兵第三聯隊の兵舎の一部です。
建物は戦後、東京大学生産技術研究所として使用されました。研究所が移転し、国立新美術館の建設に伴い取り壊されることになった際、歴史的価値を考慮して一部が保存されたのでした。
国立新美術館は、ほぼこの兵舎の跡に建っています。
「歩兵第三連隊全覧」(昭和6年) (adeac.jp)
デジタル版 港区のあゆみ / モダンな建築で話題を集めた第一師団歩兵第三連隊兵舎 (adeac.jp)
デジタル版 港区のあゆみ / 日清戦争と第三連隊 (adeac.jp)
デジタル版 港区のあゆみ / 日露戦争と第三連隊 (adeac.jp)
§ 都市空間の公園に「第一聯隊」
国立新美術館がある場所は、かつての麻布区龍土町(りゅうどちょう)です。
通りを隔てた向かい側は旧赤坂区の檜町(ひのきちょう)で、現在は東京ミッドタウンになっています。
ここにはかつて防衛庁があり、その前には陸軍歩兵第一聯隊があったのでした。
現代的な都市空間、東京ミッドタウンの一部を構成する桧町公園の一角に「歩一の跡」の碑があります。かつてここに何が存在していたのかを知らせています。
ひっそりと、人知れず、知らせています。
二・二六事件時の歩兵第一連隊営門 (adeac.jp)
デジタル版 港区のあゆみ / 日清戦争と第一連隊 (adeac.jp)
デジタル版 港区のあゆみ / 日露戦争と第一連隊 (adeac.jp)
§ 近衛の守り、幹部の養成
現在の日比谷線赤坂駅近辺、TBSのある辺りには、近衛歩兵第三聯隊がありました。
デジタル版 港区のあゆみ / 近衛歩兵第三連隊 (adeac.jp)
近衛歩兵第三連隊の兵営(上)と赤坂一ツ木通り(下) (adeac.jp)
青山一丁目の北側はかつて赤坂区青山北町でした。現在の明治神宮外苑は、明治時代から陸軍の練兵場があり、その南東角のところ、いま青山中学校が建っている場所には、幹部を養成する陸軍大学校がありました。
デジタル版 港区のあゆみ / 陸軍大学校の創設 (adeac.jp)
道を隔ててその東は、貞明皇后の大宮御所があった旧青山御所。軍と御所とをつなぐ秘密の地下通路が今も存在する、という都市伝説が語られています。
青山通りの南側、赤坂区青山南町には陸軍第一師団の司令部がありました。
§ 「聯隊の町」麻布・赤坂のまとめ
兵営が多かった麻布、赤坂地区は、日清、日露の戦争の頃は動員された人たちがたくさん集まりました。そこから戦地へ赴くわけで、人々の間には緊張感と別離の悲哀が漂っていたことが、さまざまな文書や文学から伺えます。
町を歩けば、気づいていなかった痕跡がふと姿を現すかもしれません。いにしえに思い致す機会です。いい一日になるかもしれません。
▽明治の軍人の気概に触れる 乃木坂の旧乃木邸へ
▽黄金色のトンネルを抜けに 明治神宮外苑のイチョウ並木へ
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