電車に乗っていて、足を組んだり伸ばしたりしている人がいるのを見て、なんだかなあ、と思う時ありますよね。そんな時は、その人の体質について考えてみるのはどうでしょう。気に障っていた心持ちが和らぐかもしれません。
§ 体質による事情
電車のシートで脚を伸ばしたり、股を広げたりしている人には、そうしなければならない事情があるのかもしれません。脚を伸ばしていないとひざの関節に負担がかかるので、仕方なく伸ばしている。股を大きく開かないと股関節に負担がかかって具合が悪いので、仕方なく開いている。そういうことかもしれません。
「体質」は他人にいちいち説明ができないので、こちらも分からないわけです。
§ なかなか変わらない
混雑している通路などで、スマホを見ながら〝ちんたら〟歩いている人が前にいて、背中を蹴飛ばしたくなる時があります。実際にやってはいけません。こちらが社会的に葬られてバカみたいです。
こう考えてみましょう。その人は、スマホを見ながらでないと歩けない「体質」なのかもしれません。
体質はなかなか変わりません。体質を変えろというのは、お年寄りに早く歩けというようなものです。私に「カール・ルイスのように速く走れ」というのと同じです。無理です。なので、仕方がないことなのです。
§ 三つ子の魂百まで
エレベーターの扉の前や、建物の出入り口の前で、2、3人でおしゃべりに興じている人もいます。人が通行する場所だということが分からないのです。分からないので配慮がありません。
配慮がないわけですが、配慮できない「体質」、思いが至らない「体質」なのです。
小さいときから「状況を見て、それに応じて配慮した方が、気持ちがいいよ」といういように、心の持ちようを教えてくれる人がいなかったのでしょう。それでそのまま、そういう「体質」になったわけです。三つ子の魂百までなので、これからもその体質でいくのでしょう。
変えてもらうことができないのに、どうやったら変えてもらえるかを考えるのは、時間と気持ちの無駄遣いです。
§ 同意する人と一緒に
いくら体質とはいえ、明らかに他人に迷惑をかけていて、それが許容の限度を越えている場合は、行動を変えてもらうようにします。自分の独りよがりでなく、ほかにもそう思っている人がいるでしょうから、そういった人たちがいるところで声を掛ければ、客観的な状況を示すことができるでしょう。
§ なんだかなあという人がいる時のまとめ
人にはいろいろな体質があり、それによる事情があり、それが行動に反映されています。体質や事情は、表からは分からない場合があります。「いやだな」「へんだな」と思った時、その人の体質や事情を想像してみたいと思います。それが「ダイバーシティ・インクルージョン」につながるでしょう。それに、だって、私も「いやだな」「へんだな」と思われている時があるかもしれませんからね。