【 JAARAで散歩】バルト海の未知の国の歴史を思う リトアニア大使館を見にに元麻布へ

         


 
 元麻布に大使館のある国の一つにリトアニアがあります。バルト三国の一つだったよなあくらいのことしか知らなかったのですが、この国の歴史をひもとくと、なんとかつてはヨーロッパ最大級の大国だったのでした。大使館を眺めながら、バルト海の未知の国の歴史を思い浮かべます。
 神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。

§ ヨーロッパ最大の国家

 六本木のテレ朝通りから元麻布へ入っていくと、白い建物があります。
 

 
 リトアニア共和国大使館です。
 

 

 
 リトアニアはバルト三国の一番南にあります。
 

 
リトアニアの国旗
 
 面積は6.5万平方㎞で九州と四国をあわせた程度、人口は281万人で東京23区の三分の一より少ない数です。
 なんとなく小さな目立たない印象の国ですが、14世紀末のリトアニア大公国は、現在のベラルーシとウクライナの全部と、ポーランドの一部、ロシアの一部を領土とし、バルト海から黒海にまたがるヨーロッパ最大の国家でした。
 

ウィキペディアから転載)
 
 1386年、リトアニア大公の「ヤギェウォ」さんがポーランド王「ヤドヴィガ」さん(12歳の女性)と結婚し、リトアニアとポーランドが連合。ヤギェウォさんとヤドヴィガさんが共同統治者となりました。ヤギェウォさんは「ヤギェウォ朝」という王朝を開き、子孫からは、ポーランド、リトアニア、ボヘミア、ハンガリーの王様を輩出しました。
 「ヤギェウォ大学」はポーランドで最も古い大学です(クラクフに所在)。コペルニクスが学んだ大学で、図書館はショパンの自筆楽譜を多数所有しています。かつてはリトアニアとポーランドは一体だったのでした。

§ ロシア、ソ連と拮抗

 18世紀末の3次にわたるポーランド・リトアニア分割でポーランド・リトアニア共和国は解体され、現在のリトアニアの領土の大半はこの後、150年間、ロシア帝国領となりました。
 第一次大戦後に独立を回復しますが、第二次大戦中の1940年6月にソ連が侵攻、ナチスドイツの占領下を経て1944年、ソ連が再び侵攻し、その後ソ連に編入されました。
 1990年、ソ連崩壊のさなかに独立回復を宣言し、翌年国連に加入しました。リトアニアは長くロシア、ソ連と拮抗する関係があったと思います。
 
 リトアニアのユダヤ人を救った人物として杉原千畝さんが有名です。
 
 映画「杉原千畝 スギハラチウネ予告(発売前)

 
 杉原さんは1939年(昭和14年)7月、リトアニアのカウナス領事館の領事代理に任命されます。1940年7月から、9月に列車で同地を退去するまで、領事館に救いを求めてやって来た避難民らに対し、本省の指示に反してビザ(通過査証)を発給。避難民の多くがユダヤ系だったことから「東洋のシンドラー」などとも呼ばれています。
 外交官としてたいへんに優れ、敬虔な信仰と人間性を持ち合わせていた人と思います。
 
 このとき、リトアニアの(ユダヤ人の)人たちが恐れていたのはナチスもそうでしょうが、ソ連だったのではないかとする考察もあります。
 

 「命のヴィザ」言説の虚構: リトアニアのユダヤ難民に何があったのか? という本です。

§ 偉大な芸術家の出身地

 長くロシア帝国、ソ連の領域だったので、ロシア人とされている著名人の中に現在のリトアニアで生まれた人もいます。
 バイオリニストJascha Heifetz(ヤッシャ・ハイフェッツ、1901-1987)さんがそうです。ずば抜けた演奏技術で20世紀を代表するバイオリニストの一人です。
 

 
 ハイフェッツさんはロシア帝国領のヴィリナ(現在のリトアニアのヴィリニュス)で、ロシア系ユダヤ人の家庭に生まれました。
 
 ハイフェッツさんと、ピアノのルービンシュタインさん、チェロのピアティゴルスキーさんの3人がメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番を演奏している動画があります。好きな動画です。
 


 第一楽章
 第二楽章
 第三楽章
 長い動画

§ 周辺の文化を受容

 リトアニアは、首都ヴィリニュスでは夏は快適で、冬は長く寒く、雪が多いようです。気温は-7°から23°くらいとのことです。
 地域圏としては、国連では「北欧」に分類されており、リトアニア語はインド・ヨーロッパ語族のバルト語派に属し、民族としてもスラブ民族とは異なるようですが、文化的にはベラルーシ、ウクライナ(東スラブ)、ポーランド(西スラブ)の文化を大きく受けているようです。周辺の文化の受け入れに寛容な国だったのでしょうね。
 
 北欧の国々と同じように、夏至祭がにぎわっています。
 
【バルト三国】リトアニアの夏至祭(ヨニネス)ってどんなお祭り? – YouTube

 
 夏至祭には焚火がつきものです。リトアニアでは「恋人同士が手をつないでたき火を飛び越えると、その2人は結婚できる」といわれているそうです。
 
 ジャズが人気の国でもあるようです。
 

 
 「Mėnuo Juodaragis」という音楽祭が毎年開催されています。バルト文化、オルタナティブ音楽、フォークミュージック、実験音楽のフェスティバルです。

§ リトアニアの大使館を眺めるのまとめ

 リトアニアはよく知らなかった国ですが、調べてみると長い歴史がありました。それを知ると、大使館の建物を見る目も変わってきます。きょうもいい一日になりそうです。
 
【 JAARAで散歩】これまでの「大使館を見る散歩」
 ◇戦時下のウクライナの人々の思いを感じに 西麻布のウクライナ大使館へ
 ◇港区にはなぜ大使館が多いのか 歴史を思い浮かべながら西麻布へ
 ◇ソフトパワーをアピールするパネルを見に 元麻布の中国大使館へ
 ◇まだ見ぬ国の人々を思い浮かべて 大使館を見に元麻布へ