この休日は気持ちのよい散歩がしたいなあ、と思う時ありますよね。そんな時は、大正・昭和の洋館を見に麻布へ行くのはどうでしょう。日本で活躍した米国人建築家、W.M.ヴォーリズが設計した建物です。その姿を目にすると、いつしか忘れかけていた、澄み切った空気の感覚を思い出すかもしれません。
神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があればいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。
§ 地形に沿う建築で美しい景観
地下鉄日比谷線の広尾駅で降りて、有栖川宮記念公園へ向かいます。ナショナルマーケットが見えたら、向かい側が公園の入り口。公園の敷地に沿った上り坂が「南部坂」です。少し上ると右側に「麻布南部坂教会」があります。
坂道の急こう配に相応するように、入口と礼拝堂は2階になっています。1階は幼稚園で、前に園庭が広がります。坂の下から見上げる壁面には、ポインテドアーチ(先の尖ったアーチ)を配して存在感を示しています。
完成は1933年(昭和8年)。向かいの旧有栖川宮邸の敷地は翌1934年に東京市に下賜され、その年のうちに公園が完成しました。
教会は周辺と調和して落ち着いた景観を形づくっています。
§ 素人の偉人 不思議な世界
ウィリアム・メレル・ ヴォーリズ(William Merrell Vories、日本国籍を取得して一柳米来留〈ひとつやなぎ めれる>)は1880年、米国カンザス州の生まれ。明治の中期に若くして来日した目的は、プロテスタントの宣教活動でした。その傍ら、建築家として数々の建物を日本で設計。東京・駿河台の「山の上ホテル」や京都・四条大橋西詰にある「東華菜館」などの大きな建物から個人の私邸まで、その数600以上といわれます。また、メンソレータムを日本に普及させた実業家でもありました。
建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していましたが、家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学、学生時代に外国伝道を決意して1905年(明治39年)に24歳で英語教師として来日。1907年に伝道団を創設、翌1908年に建築設計監督事務所を開業、1913年にメンソレータムの販売代理店になったとのことです。メンソレータムとの関係は伝道活動に共鳴した、メンソレータム社の創業者ハイドとの出会いがきっかけだったようです。
つまりヴォーリズは、神学校を卒業した宣教師でもなく、大学で建築学を極めた建築家でもなく、ましてや医療・製薬の研究者でもありませんでした。3つの分野の業績を達成していますが、すべて〝素人〟だったとも言えます。不思議な世界の持ち主を思わせる魅力を持った人物なのです。
§ 敬虔な神への祈り
南部坂を上りきって元麻布を北へ進むと、西町インターナショナルスクールの本部館(旧松方正熊邸)があります。
ヴォーリズの設計による1921年(大正10年)の建築です。東京都選定歴史的建造物になっています。
明治の元勲松方正義さんの息子の正熊さんと美代子夫人の私邸として建てられ、ここでスクールの創立者松方種子さん、駐日アメリカ大使ライシャワー夫人となる春子さんが育ったとのことです。
銘板には「スタイルは、米国の諸都市で1890年から1930年までの間に盛んに建てられた郊外住宅に類似する。とくに、東面に大きく張り出したパーゴラ状の庇(ひさし)、それを軸にした左右対称の均衡のとれた外観は、様式や装飾によらない、構成美を備え、出窓をもつ起伏に富んだ大屋根とあいまって、傑出した景観と記念碑性を生み出している」とあります。
パーゴラとは、屋根部分が格子でできている庇。もともとはイタリア語でブドウ棚のことのようです(pergola つる棚)。
壁のマークは松方正熊さんのためにヴォーリズがデザインしたようです。
大仰な装飾のない、質実な、均整の取れたスタイルは、建築家ヴォーリズの基底に、敬虔な信仰があったことを感じさせます。そこに、澄み切った空気のすがすがしさを感じます。
§ ヴォーリズの建築のまとめ
ヴォーリズは近年注目が高まっている建築家。JAARAではありませんが、港区白金台の明治学院チャペル、関西では関西学院大学のさまざまな校舎を設計しています。
南部坂教会の向かいは有栖川宮記念公園、西町インターナショナルスクールから北へ足を延ばせばすぐ六本木。自然あり、ファッションあり、きょうもいい一日になりそうです。
【 JAARAで散歩】建築を見る散歩
▽現代日本の建築を見に青山通りを青山から赤坂へ
▽昭和初期の自由な空気を伝える現役の住宅 麻布台の『和朗フラット』へ
▽デザイナーズマンションの先駆けを見に 神宮前の「ビラ・ビアンカ」へ
▽建築界の巨匠、槙文彦さんの作品を見に 青山・麻布へ
▽競技場からお菓子屋さんまで 大物建築家・隈研吾さんの作品を見に青山へ
▽ヴォーリズの東京の建築を見に 東洋英和女学院へ