麻布と聞くと、伝統的な日本と西洋の文化が両方とも存在するというイメージです。その「西洋」は明治、大正、戦前の昭和の時代に日本が感嘆した憧れの世界です。教会は西洋の文化そのものを表す建築物ともいえます。大正時代に建てられた、ロマンを感じる教会を眺めに行きましょう。(2023.7.10)
神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街。目的があれば歩くのがいっそう楽しくなりますね。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。
§ 味わいのある構成
元麻布に『日本キリスト教団 安藤記念教会』があります。
■日本キリスト教団 安藤記念教会
大正6年の建築。なんとなく古き良き大正を感じます。建物全体が大谷石で作られています。「アンバランスなファサード」「なんか妙なバランスで落ち着かない」との評あります。(松田力『東京建築さんぽマップ』)
入口のある塔の部分のことでしょう。
これはこれで重厚で素敵だと思います。眺めがいがあります。
季節によって雰囲気が違ってくるのでしょうね。
§ 台地の上で安定
説明板には次のようにあります。
Tokyo Metropolitan Government Selected Historical Structures
日本基督教団 安藤記念教会会堂
The United Church of Christ in Japan Andoh Memorial Church
所在地 港区元麻布二丁目14番16号
設計者 吉竹長一
建築年 大正6年(1917)
この教会堂は、関東大震災前に竣工してその姿をとどめている貴重な教会建築である。
大谷石(一部小松石)の組積造で、南西の角に出入口の塔屋を設けている。
建物の北と南の壁面には小川三知が製作したステンドグラスが嵌め込まれている。
この教会の創立者安藤太郎がハワイ総領事であったことから、南面のアーチ窓のステンドグラスには、布哇(ハワイ)初回受洗者を記念する文字が日本語と英語で表わされている。
東京都
TOKYO METROPOLITAN GOVERNMENT
関東大震災で生き抜いた建物は少なくないでしょうが、教会建築としては貴重なのでしょう。
関東大震災を生き抜いた条件として、この辺りの地盤の堅固さがあったと考えられます。安藤記念教会の向かい側は、麻布の総鎮守「氷川神社」です。
台地の先端部分の上に当たり、麻布全体が見渡せる、地盤の安定した地点だと思います。
§ ハワイとのご縁
安藤記念教会の安藤さんとは、戦前の外交官安藤太郎さんのことです。
安藤さんは元幕臣で維新後大蔵省、外務省で働き、初代のハワイ総領事を務めたとのことです。日本からの移民に備えてのことだったのでしょう。
ウィキペディアによると、1885年(明治18年)にハワイ総領事になり、1887年(明治20年)、キリスト教に入信しています。
ステンドグラスは、ハワイでの受洗の様子が描かれているということです。
1915年(大正4年)にご夫人が亡くなり、自宅を教会に寄進したとのことです。
■安藤太郎 (外交官) – Wikipedia
■ハワイにおける日本人移民 – Wikipedia
§ 「安藤記念教会」のまとめ
大正時代に建てられた麻布の教会は古いだけでなく、いろいろなことを思わせてくれる建物なのでした。きょうもいい一日になりそうです。
【 JAARAで散歩】麻布で散歩
▽澄み切った空気を思い出す 大正・昭和の洋館を見に麻布へ
▽千年の伝説がある神社、お寺をめぐりに麻布へ