【 JAARAで散歩】寒さと飢えと寂しさにさいなまれた人を思う、そして母子の愛情を思う

         


 
 六本木の片隅に女の子のお地蔵さまがいます。むかしの満州の地で、日本が戦争に敗れた混乱の中、お母さんが亡くなるのを見送った後、自らも亡くなった女の子のお地蔵さま「ともちゃん地蔵」です。このような悲しい出来事が二度と起きないようにとの願いを込めた人たちがいました。お地蔵さまは言葉少なにたたずんでいます。
 
 神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布(JAARA)は歩くだけで楽しい街ですが、悲しみが伝わることもあります。街の中に、密かに息づく思いに巡り会うこともあります。
※ JAARA(ジャーラ)は[神宮前―青山―赤坂―六本木―麻布]の街の連なりを指す造語です。

§ 麻布十番と六本木の間

 「ともちゃん地蔵」は麻布十番の商店街を六本木へ抜けたところ、六本木のツタヤビルの、書店と反対のスーパーマーケット側の向かいにあります。
 

 

 
 石碑には次のように書いてあります。

ともちゃん地蔵の碑
 
「お母さんに会いたいときは おへそを見なさい。きっとお母さんに会えるでしょう。」
ともちゃんのお母さんは 収容所の死の床で そう言いました。
お母さんのお墓の前で毎日ともちゃんは おへそを眺めました。
そんなともちゃんもきびしい冬が来ると 身体をくの字に曲げて おへそを見ながら死んでいきました。
遠い昔、中国の北の街に そんな子どもたちがいたことを 忘れないでください。
二度とこんな悲しみを 子どもたちに負わせないでください。
 
 二〇〇一年七月二九日
  語りつごう ともちゃんの会 
       代表 千野誠治


 
 お地蔵さまの台座には「ともちゃんのおへそはお母さんの顔」と刻まれています。
 

 
 ともちゃんもお母さんも、寒さと飢えと寂しさにさいなまれながら亡くなったのでしょう。そして亡くなるまで、お母さんを、わが子を愛したのでしょう。
 
 ともちゃんは『ともちゃんのおへそ』という絵本になっています。
 

 
 増田昭一さんという人の原作、 杉山春さんという人が文を書き、みねだ としゆきさんという人がイラストを描いています。
 原作のある増田昭一さんの本は『満州の星くずと散った子供たちの遺書―新京敷島地区難民収容所の孤児たち』です。
 

 
 旧満州の難民収容所では、祖国へ帰ることを願いながら亡くなった方が大勢いたとのことです。

§ 離れ離れになった人たちのために尽力

 お地蔵さんがあるビルは以前、別の記事でご紹介しました。ドアに黒猫が描かれているビルです。1階がギャラリーになっています。
 

 
 ▽六本木と麻布に潜むネコたちは精悍な顔つきだった
 
 ギャラリーのマークにデザインされている少年も、碑文の背後の壁にいる石のレリーフの少年も、下の方を見ています。ともちゃんと同じように、おへそを見ているのでしょう。
 

 

 
 ギャラリーの中にはお地蔵さんがあります。
 

 

 
 ともちゃん地蔵の願主、千野誠治(ちの・せいじ)さんのゆかりの品なのでしょう。
 千野誠治さんは、1924年東京生まれ。15歳で満蒙開拓青少年義勇軍として旧満州に渡り、軍隊を経て3年間シベリアに抑留。48年に引き揚げた後、中国残留孤児の問題に尽力されたそうです。
 関係する人の身元、戸籍関係の確認、帰国支援に取り組み、2014年に亡くなるまで「中国残留孤児の国籍取得を支援する会」事務局長だったとのことです。
 
 さくら共同法律事務所 (sakuralaw.gr.jp)
 web同声・同気 2013年4月5日号 (kikokusha-center.or.jp)
 

§ ちばてつやさんがデザインしたお地蔵様

 千野さんは「ともちゃん地蔵」のほかにも、お地蔵さまを建てています。その一つが浅草の浅草寺にある「母子地蔵」です。
 

 
 デザインしたのは『あしたのジョー』のちばてつやさん、碑文の文字は『丸出だめ夫』の森田拳次さんです。
 1939年生まれの2人はいずれも旧満州で終戦を迎え、その後の混乱した状況を、少年時代に目の当たりにしていたのでした。
 
 碑文にはこうあります。

母子地蔵建立の由来
 
第二次世界大戦末期.ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(旧満州)で逃避行の末命を落とした日本人の数は二十万人を超えると云われています.
酷寒の曠野を逃げ惑ううち母子が生き別れとなったり飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなど.その悲劇は数知れません.
犠牲となられた母子の霊を慰め、また、いまだ再会のかなわない親と子の心のよりどころとして二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念しつつここに、母子地蔵を建立いたしました.
 
   一九九七年四月十二日
      願主   千野誠治
      デザイン ちばてつや
      文字   森田拳次
   まんしゅう地蔵建立委員会
   まんしゅう地蔵建立応援団
   中国残留孤児援護基金

 

 
 ちばてつや – Wikipedia
 森田拳次 – Wikipedia
 
 母子地蔵は、浅草寺の宝蔵門のすぐ近くに安置されているのでした。
 
 

§ 六本木の「ともちゃん地蔵」のまとめ

 悲しい歴史を伝えようと願う姿が、繁華な街の片隅にありました。時間とともに記憶は遠のきます。近づいて行って、明日への道筋が間違っていないか、尋ねてみたいと思います。きょうも何かを得ることができました。
 
【 JAARAで散歩】六本木で散歩
▽ビルの谷間の神域 六本木・麻布でタイムスリップする
▽芸術としてのベンチとベンチとしての芸術 六本木・けやき坂へパブリックアートを見に行く
▽大画面の壁画の迫力 赤坂・六本木の地下鉄駅へ
▽雨に消える透明な椅子 六本木・けやき坂のパブリックアート
▽デザイン・アートの街にアートを見つけに 六本木交差点へ